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アイアイ傘の季節

ショートショート愛のショートショート

アイアイ傘の季節   玉生洋一

「ねぇ。今日、傘持ってきた?」
「え〜ん、持ってきてないよォ。どうしよ〜」
 雨の日の放課後。そんな声をよそに、アイ子は一目散に教室を飛び出した。
 アイ子が持っているのはすこし色の落ちかかった水色の傘。お母さんとの思い出の……。
「とうとうこの傘を使う日が来たんだわ!」
 お母さんは雨が降ると、幼稚園まで必ずアイ子を迎えに来てくれた。アイ子はお母さんと一本の傘の下を歩くのが好きだった。雨と傘の水色に包まれた、お母さんと二人だけの世界。
 家に帰るまでの間、お母さんとは色々なお話をした。
「アイ子が大きくなったら、どんな男の子とこうやって一つの傘に入るのかな」
「そんなことしないよ。お母さんとだけだもん」
「ふふふ、ありがと。でも、今に男の子と入りたくなるわよ。その時はこの傘を使ってね。そうしたらきっとその人と一緒に幸せになれるわ……」
 これがアイ子とお母さんの最後の会話となってしまった。次の瞬間、雨にハンドルを取られた車が二人めがけて突っ込んできたのだ。痛ましい雨の日の事故だった。
 お母さんとの約束は、アイ子の心に深く刻み込まれた。そして、その約束を果たす日がついにやって来たのである。
「早くしないと梅雨が終わっちゃう!」
 アイ子の目の前に、やっと「一緒の傘に入りたい」と思える男の子が現れたのだ。それから今日まで、どんなに雨が降るのを待ちこがれたことか!
「いた!」
 アイ子は昇降口に彼の姿を見つけた。彼は傘を持っていないらしく、雨空を見上げて途方に暮れている。
 目を閉じて深呼吸をしたアイ子は、思い切って彼に駆け寄ると、水色の傘を差しだした。
「あの……、よかったら、この傘で一緒に帰りましょ」
 彼は人目を気にするようにキョロキョロと辺りを見回したかと思うと、そっと傘を手に取った。
「いいのかな?」そうつぶやくように言うと、彼は静かに傘を開いた。
「もちろんよ!」アイ子は喜々として、彼の横にピッタリと寄り添った。そして二人は、二人の全身を包み込む水の中へと歩き出した。
 初めての相合い傘。アイ子にとってはすべてが新鮮だった。一言も言葉を交わさなくても、傘に当たる雨音が沈黙を消してくれる。少しも触れあっていないのに、彼とひとつになれたような気がする。
 アイ子は思った。

(そう。これからあたしたちは本当に「ひとつ」になるのよ! 永久に!)

「危ない!」
 そう叫んで彼の手を掴んだのは、アイ子のお母さんだった。
 彼の鼻先をトラックが走り抜ける。彼はへたへたとその場に座り込んだ。
 お母さんは胸を撫で下ろして言った。「よかった……。危ないじゃないの。どうして赤信号なのに渡ろうとしたの?」
「……僕にも何がなんだか……。ついフラフラと……。助かりました。ありがとうございます」
「まぁ、無事でなによりだわ。もう交通事故はたくさ……あら……? その傘……」
「あ、これ……。昇降口に『落ちてた』んで持って来ちゃったんですけど……」
「ちょっと見せてもらえる?」
 水色の傘はお母さんの伸ばした手をスルリと抜けると、瞬く間に天高く舞い上がった。アイ子の声が天でかすかに響く。
「もう! よりによってなんでお母さんが邪魔するのよ。でも、安心して。約束は必ず守るからね。あたし、ステキな人と絶対に幸せになってみせる! さぁ、早くしないと梅雨が終わっちゃうわ」
 水色の傘は、雨空の彼方へと消えていった。次の標的を探して……。






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作者からひとこと

 自称「ステキ」な人は、水色の傘にご注意を。
(1999/7/29)

初出

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