大仙稜

河内王朝

仁徳天皇陵が大仙稜になったわけ

「仁徳天皇陵」は、現在の教科書では「大仙稜古墳」と呼ばれていることが多いらしい(ほかには「大山古墳」など)。  これは、そもそも仁徳天皇のお墓かどうかの確証がないからだという。具体的な理由としては下記のものがあげられる。

  • 江戸末期〜明治にかけて天皇陵の比定が行われ、現存古墳の中から全天皇の墓が無理矢理定められた。きちんと学術的に認定されたのかどうかは極めて疑わしい。
  • その際に認定されていない古墳の中にも「天皇」の墓っぽいもの(「陵墓参考地」)が全国に約200か所もある。比定もれでは?
  • 履中天皇陵は大仙陵より先に作られていることが判明。前後が逆なので、どちらかが間違っていることになる。

 歴代の天皇に真に敬意を払うならば、各古墳の学術調査を直ちに許可し、慎重に調査を進めることで歴代天皇の本当の墓を再比定するべきだろう。

メモ

  • 「大仙」+「稜」という名前については、天皇の墓であることを表す名称を除外したくて地名にしたのに「稜」を付けてしまっては矛盾してしまうという意見もあるが、あれだけ大きな墓が天皇の墓でないと考えるほうが不自然なので、そのままでもいいだろう。
  • また、名称変更は近年の左翼化の一端との指摘もあるが、「大山古墳」という名称は江戸時代から既に使われていたそうなので「仁徳天皇の墓という確証がないから地名で呼ぶ」という考え方自体は真っ当だといえる。

参考文献

  • 伊沢元彦『逆説の日本史1・古代黎明編』(小学館)
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