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[[日本史]]
[[縄文時代]]←弥生&null;時代→[[古墳時代]]

*弥生時代の時代区分 [#y16e6fa6]

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|~早|BC1000頃〜||
|~前|BC800頃〜||
|~中|BC400頃〜||
|~後|AD50頃〜|3C邪馬台国&br;[[葛城王朝]]|

 以前この欄では、古代天皇の推定在位年代と帥升、卑弥呼らをひとつの表にまとめ、なんとかひとつの国家としての整合性をとろうと努力してきた。しかし、やはりどうしても無理がある。とはいえ、中国の書物の記述ばかりを事実として採用し、『古事記』や『日本書記』の中の真実に蓋をしてしまうことは避けたい。
 そこで、弥生時代のうち、古代天皇に関する部分を[[葛城王朝]]((時代区分名として葛城王朝や河内王朝という名前を用いるが、必ずしも王朝交替説を全面的に支持しているわけではない。各王朝名は時代区分を理解しやすくすることを第一に採用した。))として別ページに分離し、その他の部分と分けて考えることにした。大和政権の樹立されるまでは倭国には100以上のくにぐにが乱立しており、邪馬台国も古代天皇のくにも、それぞれべつのくに(または連合国家)として歴史を積み重ねてきたのではないかという仮説によるものだ。
 そもそも、統一国家が早い時期に成立していたのであれば、『古事記』よりももっと早い時期に大陸と同様に文字による記録を行っていたほうが自然。それがないのは、まだ数々のくにが乱立しており日々勢力争いが行われていたから(または新勢力が旧勢力を滅ぼしたときに記録や碑を隠滅したから)ではないだろうか。


*弥生時代年表 [#o06ce4df]

**前期 [#f319c56f]
-BC500武芸洞人(港川人の子孫?)
-BC6-4C頃:倭が燕国(中国東北部)に服属(『山海経』):中国の神話?
-BC3C頃?:漢字の伝来
-BC2C-0頃:倭人、前漢に定期的に朝貢&br;(『漢書地理志』)
-BC1C頃:「楽浪海中倭人有り、分かれて百余国をなす」(『漢書』)

**中期 [#oe542093]
-0頃 100あまりのくに

**後期 [#ke2f7ceb]
-57 奴国王後漢に朝貢:光武帝から金印「漢委奴国王」。暗記法「後漢にGo奴国王」
-107 奴国王帥升ら後漢に朝貢:「倭面土國王」。後漢の安帝に生口160人を献ずる。帥升は名前が残っている最古の人物。暗記法「50年後にまた朝貢」
-178-184の間 倭国大乱

***邪馬台国時代 [#gd0850b4]
-200頃 邪馬台国が30あまりのくにを支配
-239卑弥呼、魏に朝貢:「親魏倭王」の金印。難升米(使者)。銅鏡100枚。暗記法「文くれと〜」
-243、245、247邪馬台国と魏の外交。
-247狗奴国戦争(男王卑彌弓呼):暗記法「大勢死なす狗奴国戦争」
-247魏の使者・張政、邪馬台国へ。
-248卑弥呼死去:倭国乱れる。台与女王に。


*疑問点 [#a8534f71]
-卑弥呼から天皇へとのつながりは?
--高森明勅氏の卑弥呼外務大臣説も一理あって面白いが、国のトップが魏によって語られないのはやはり腑に落ちない。

-古代天皇の実在性
--天皇崇拝者は、古代天皇の実在を示す証拠が現存していないことを認識すべきだろう。