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[[日本史]]
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||即位年|在位&br;期間|天皇|実権|出来事・備考|h
|~前&br;・&br;聖&br;武&br;時&br;代|707|8&br;(5)|43元明&br;(阿閇皇女)|藤原不比等|女帝。&br;文武天皇の母。&br;天智天皇の第四皇女。&br;持統天皇の異母姉妹。&br;710平城京遷都|
|~|715|9|44元正&br;(氷高皇女)|藤原不比等〜&br;長屋王|女帝。&br;元明天皇の子。&br;聖武天皇のおば。&br;718養老律令選定&br;720不比等死去、日本書紀&br;723三世一身の法|
|~|724|25|45聖武&br;(首皇子)|長屋王〜&br;藤原四兄弟〜&br;橘諸兄|文武天皇の第一皇子。&br;729長屋王の変&br;光明子立后(非皇族初)&br;740藤原広嗣の乱&br;741国分寺建立の詔。国分寺と国分尼寺。&br;743東大寺大仏の建立の詔:行基が指揮(道、橋、用水路などの建造法も各地で教えるが749没)。&br;743墾田永年私財法&br;744安積親王急死(脚気)|
|~中&br;・&br;孝&br;謙&br;時&br;代|749|9|46孝謙|藤原仲麻呂&br;(恵美押勝)|女帝。未婚。&br;父聖武天皇の譲位により即位。&br;752東大寺大仏開眼供養:暗記法「大仏で長うに幸せを」&br;753唐僧鑑真来日:12年遭難を繰り返した末。東大寺で僧を認定。唐招提寺(奈良)建立。暗記法「和みましょう。鑑真の教えで」&br;756聖武天皇崩御|
|~|758|6|47淳仁|藤原仲麻呂&br;光明皇后&br;称徳|天武天皇の皇子・舎人親王の七男。&br;権力なし。&br;764恵美押勝の乱&br;8C半ば 『万葉集』成立:山上憶良(660?-733?)「貧窮問答歌」|
|~|764|6|48称徳&br;(=孝謙)|称徳|道鏡の重用。&br;右:吉備真備。&br;769宇佐八幡宮神託事件&br;770称徳天皇崩御(天然痘)|
|~後|770|11|49光仁&br;(白壁王)|藤原永手〜&br;771藤原良継|天智天皇の第7皇子。&br;62歳で即位。天智系へ。&br;772皇后井上内親王の大逆容疑〜天武系断絶|
|~|781|25&br;(13)|50桓武&br;( 山部親王)|藤原良継|光仁天皇の第一皇子。地方豪族の娘との子だったため、政争に勝つまでは立太子せず官僚として苦労した。仏教勢力との対立。&br;781山城国遷都&br;784長岡京遷都:寺を建設せず。藤原種継暗殺。|

*奈良時代の年表 [#m78f16b0]
-720「日本書紀」完成
--正確な歴史書ではなく、歴史物語の色が強い。手本とした「史記」は物語性を盛り込んであり、読み物として面白くなるように書かれている。
--勝者によって書かれた歴史書。当時の人々も「歴史書とは前代を否定するもの」ということを十分にわかっていた(騙してやろう、洗脳してやろうという意図で書かれたわけではないということ?)。