タマゴの記憶
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タマゴの記憶 玉生洋一†
春だというのに気分は最悪。 気分転換に散歩に出たエリコは、普段は前を素通りするだけのペットショップにふらりと立ち寄った。 割と広めの店内には会社帰りだろうか、中年サラリーマンの姿が目立つ。 「最近は家族へのおみやげにペットを飼う人が多いのかな。それとも仕事のストレスを癒しているだけ?」 確かに、じゃれあう可愛い子犬や仔猫は、のぞき込む人々の心をなごませる。しかし、それでもエリコの心にかかった雲は晴れることがなかった。 「お嬢さん、何をお探しかな?」突然後ろから声をかけてきたのは、店主らしき老人だった。 「いえ、あのその、特に探しているというわけでは……」 「何かお悩みのようじゃな」 人なつっこい老人の瞳に促されるようにして、エリコはいつの間にか悩みをうち明けていた。「実はあたし今年から高三なんですけど、受験のことを考えるだけでウンザリなんです。だってあたしったら、記憶力がまるっきりケツジョしてるんだもん……」 「それなら、いいものがある」 老人はニコリと笑うと、そばにあるカゴを指さした。そこにはニワトリが1羽。 「このニワトリのタマゴを食べてみなさい」 「記憶力を付けるには栄養をとれってこと? タマゴならスーパーでも売ってるわ」 「いいや、そうじゃない。これは品種改良した特別のニワトリで、記憶をタマゴに封じ込める力を持っている。つまり、コイツに参考書を読ませた後のタマゴには、参考書の内容がすっかり詰まっているというわけじゃ」 「そんなことあるわけが……」 しかし、「一晩貸してあげるから」と言われたら断れない。 エリコは部屋にニワトリを持ち込むと、その前でパラパラと参考書をめくり始めた。
「おじいさん!」 次の日、ペットショップには晴れ晴れとした顔のエリコが飛び込んできた。 「全部おじいさんの言うとおりだったわ! 今日は歴史の模試があったんだけど、もうバッチリよ!」 「それはよかった。あのタマゴを毎日食べれば、受験も楽勝じゃろう」 「でも……」エリコはまた曇り顔になった。ニワトリの値札にはこう書かれていたのだ。
『特別製メモリーニワトリ・1羽10万円 詳細は店主まで』
エリコの表情を察した老人は優しく言った。「お金ならいいから持って行きなさい。受験が終わるまでニワトリはお貸ししようじゃないか」 「ホント!? ありがとうおじいさん! 受験戦争なんてやってるとなんでも競争社会って感じだけど、世の中にはおじいさんみたいに優しくていい人もいるのね! あたし、大学に合格したらおじいさんを見習って、人に幸せを与えられるような人間にきっとなるわ!!」 老人は黙ったまま、にっこりとうなずいた。
その夜。ニワトリとの勉強を済ませたエリコは、そろそろ寝ようと立ち上がった。 ふと壁際を見ると、水槽の中の魚と目が合う。 「うふふ。おじいさんってホントにいい人! 『勉強の疲れを癒すために』ってこんな可愛いお魚までくれるんだから!」 水槽の中では品種改良されたペット用の小さな鮭が、じっとエリコの着替え姿を見つめていた。
翌日からペットショップに貼られていた貼り紙。 『お待たせしました! 特別製メモリーイクラ・1粒1万円 今冬収穫予定。ご予約はお早めに!!』
評価†
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作者からひとこと†
記憶って人生で一番大事なものではないでしょうか。数分前のことすら忘れるほど忘却力の強い人は、人生つまらないでしょう。 連続した記憶があるからこそ今を生きることができるのであって、細切れになった記憶は「内容のないレンタルビデオ映画」みたいなもんです。 例外はこの話のイクラなど? (2000/5/16)
初出†
- 「ショートショート・メールマガジン」第63号(2000/4/5号)
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