綱吉

江戸時代

  • 正室信子(身分高い)には子ができず、側室のお伝の方(身分低い)に徳松誕生。
  • 徳松の安康を願って綱吉と桂昌院が始めたのが七五三。だが、徳松は5歳で病死。
  • 生類憐れみの令

綱吉殺害疑惑

  • 綱吉は信子に刺されて死んだ? 文献に「無理心中」との記述。
  • 信子の墓には金網が被せてあった。罪を犯した人の墓に金網を被せる習慣。
  • 綱吉と信子(13歳で結婚)の夫婦仲は悪かった。綱吉は学問に熱中。信子が19歳のときに身分の低いお伝が側室に。2人の子どもができ、権力が増すお伝。
  • その後、将軍になった綱吉。大奥の実権は桂昌院とお伝に。
  • 柳沢の側室に手をつける綱吉。生まれた子どもは綱吉の子どもではないかという噂が。
  • 信子の付き人のオオスケにも手をつける綱吉。側室を持つのは仕方がないとしても、自分の付き人にまで……とがまんできなくなる信子
  • 女性の厠から高濃度の鉛が検出。白粉は鉛から作られていた。毎日塗っていると鉛中毒に。肝機能、腎機能の低下。脳に影響して精神不安定に。
  • 長年(40年)の嫉妬。鉛中毒による精神不安定。

参考

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